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しっぽの周りで世界は回る

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ひとくくりにしないように

米軍移動の費用をそこまで日本が負担しなければならないこと、アメリカが最初は70%もの費用を要求していたこと。そんなニュースを見ていると、たかり国家めと思ってしまう。そう思っていると、アメリカ全体がそういう国家そういう国民だと思ってしまう。そして、そうやって憎めば簡単に楽になれる。

私がアメリカを旅したのは、アメリカを肌で感じたかったから。
ひとくくりにして、こんな国、こんな国の人はこんな人、と言えるほど、人間社会は単純ではないことを、アジア人ということで頻繁に差別を受けてきた自分が一番感じていたはず、なのにその自分の中に「~人は・・・」などという差別意識を感じてしまったから。どうしても拒否感を感じてしまうアメリカにあえて行ってみたのは、単純に憎んだり差別意識をもつ楽さに逃げないように、何か実体験が欲しかったからだった。

飛行機の着くアメリカの都会では、多くの差別も受けた。いわれもない、あからさまな。白人という人種のDNAはこうなのかと思うほど。しかし田舎の住宅街を一人歩いてみれば、日本と何も変わらない家族との平和な営みもみつけた。泣いては笑う子供達に、家の手入れをするお父さん、皆にお茶を入れるお母さん。おじいちゃんやおばあちゃんの横顔には、日本のおじいちゃんやおばあちゃんと同じ、人生の年輪が美しく刻まれていた。

旅では願っていたものを手に入れた。

差別をするというのは、もっとも単純で簡単な自己の地位を確保する方法だ。現代社会だけに生まれたものでなく、それは旧約聖書の頃も同じくあった。差別とは人間の愚かな防衛法に思える。

滑稽であったり俗悪であるような国政があったとしても、同じ視線でその国民を見ないよう。劣悪であったり悪徳であるような人間がいたとしても、それがそこのすべての国民がそうであるようなひとくくりをしないように。そういう楽なことに流されない努力として私は、差別を自分の中に感じる時には、あの田舎の住宅街を思い出すようにしている。一人一人の人生を大切に思わせてくれる、あのおじいちゃん達の横顔に刻まれていたしわを。
by cariie | 2006-04-25 00:20 | ためいき