「音楽に国境はない。」私も、そう思っていたし、世間でも常識となっている概念だろう。
それが自分の中で覆ったのは、アメリカ同時多発テロ以降。あの世界が人の血に濃く染まり出した頃、アメリカでラジオ局での放送禁止になる曲が作られた時。
音楽が伝えるメッセージを、国が、国家という在り方が、そして一部の人間達が、それを統制しようとした。
日本ではなかったが、深く文化を関わらせるアメリカという国にて、起こり強まってゆく保安という名を付けられた言論統制を、恐怖を持って体験した。
世界大戦の時代、それはどれほど強大で、絶対的なものだったのだろう。私は、何も知らなかった。平和がどんなに脆いものなのか、今思っている常識が、その脆い平和の上に成り立っていたのか。
音楽は、それでも流れ始めれば、再びその込められたメッセージを何度でも伝えてくれる。言葉を越えて、国を越えて、人の思いから人の心へ、メッセージを届ける。そして私は、考える。そのメッセージの意味を。
考える事を奪われては、人は人であれない。生きている間、善や悪、光りと影、その間にある道を選んでいかなくてはならない。他人が歩く道を強制した道は、アウシュビッツへの線路だ。
ラジオから流れるイマジンを聞くと、ふとそんな事を考えた。